2013年06月30日

Guardaparque(Surire) → Guardaparque(Guallatire)


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青線:走行ルート、緑破線・緑矢印:別ルート
H:宿 R:食堂 S:商店 H/R:食堂兼宿
赤数字:距離(Km)
悪路度合(★〜★★★の3段階評価):
「砂が深くて自転車が漕げない」または「コルゲーションあるいは石が大きくて時速6km以下(下り坂なら時速10km以下)しかでない」状態が
 5%以下 ★:軽度悪路
 5%〜30% ★★:中等度悪路
 30%以上 ★★★:高度悪路




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日向ぼっこをするビスカッチャ




晴れ

スリレ塩湖天然保護区の管理事務所の周りの岩陰にはたくさんのウサギが住み着いていた。ビスカッチャという種類で、尾の長い大型のウサギである。人間を怖がらず、餌がほしいのかじわじわと寄ってくる。スリレ塩湖の対岸から朝日が昇ると、ウサギたちは一斉に巣から出てきて、東に向いて目を閉じ気持ちよさそうに日光浴を始めた。そんな光景を見ながら、午前8時に出発した。塩湖の西側を回って北に出て7km進むと、スリレ塩湖上でホウ砂(ホウ酸化合物)をとる鉱山会社の社屋と寮があった。ここを通過すると道は緩やかな登りになる。


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6km登ると、次の高原地帯が見渡せ北方にはグアジャティレ火山が近づいてきた。太古の昔から何度も大噴火があったのだろうか、河口はいびつで裾野までごつごつとしたグアジャティレ火山は、歴戦の老戦士の節くれだった体を横たえたような山だ。その老戦士がゆっくりと吐息をはくように時折、細かい噴煙が上がった。グアジャティレ火山の南側の高原地帯をその後20kmほど走ると、ラウカ川の右岸に出た。川筋は曲がりくねり、ゆったりと高原地帯を流れるラウカ川は、このまま国境を越えてボリビアに入り、我々が通過したコイパサ塩湖へと流れ込むのだ。ラウカ川の作るちょっとした渓谷の右岸を登って行くと、対岸には10頭ほどのビクーニャの群れが見えた。笛を吹くのような甲高いビクーニャの鳴き声が静かなラウカ川の谷間にこだましていた。この間、時折ホウ砂採取会社のトラックが行き来し、その何台かは我々の自転車をみかけて停車し、水や果物をくれた。有難くいただいてラウカ川とその対岸にそびえるグアジャティレ火山をみながら昼食をとった。



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ラウカ川とグアジャティレ火山



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いただいた果物と水



その後、ラウカ川にかかる橋を渡り、左岸に出て数キロ進むと、ラウカ川の支流が道をさえぎっていた。浅ければいつものように自転車にのってざぶざぶと渡るのだが、雪解けのせいかかなり水量が多かった。どうやって越えようかと思案していると、近くで新しい渡河地点の工事をしてた現場のおじさんたちが見かねて、ブルドーザーを出動させたのだ。ブルドーザーの前方についている本来は土砂を運んだり岩を砕いたりするショベルの部分に人と自転車を乗せて対岸まで運んでくれた。


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チリの男の人はあまり口数が多くない。おしゃべり好きなアルゼンチンのおじさんとは対照的だ。しかし、チリもアルゼンチンもおじさんは本当にやさしく手助けしてくれる。その後、10kmほど走るとグアジャティレの廃村に着いた。廃村とはいえ、公園管理事務所と警察の駐在所があるので、村人も数人は住んでいるようだった。村で一人、女の人をみかけたので「キャンプしてもいいか」と訪ねると、「いいけど、ごみは持って返ってよ」とかなり無愛想に言って去っていった。チリの男の人に比べてといっては失礼かもしれないが、チリの若年から中年の女性は、少女時代に笑顔を置き忘れてきたのではないかと思うほど無愛想な人が多い。村の広場には鐘楼まで備えた、昔は立派だったのだろうが、今はわらぶきの屋根も朽ちて落ちてしまっている教会があった。その教会の前にテントを張って本日終了とした。



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この道沿いは、本当に悲しくなるくらいに廃村ばかりが続いていた。このあたりはアイマラ語を話すアイマラ系先住民が暮らしていた土地だ。しかし、厳しい高地での牧畜生活をすてて、みな太平洋沿岸部にあるイキケやアリカといった都市での生活を選んで去っていったのだそうだ。イスルガ村なども今は祭りの季節にしか人々は帰ってこないという。


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日本とおなじくチリでも田舎の過疎化というのは急速に進行しているようだ。ここで仮定の話だが、もしボリビア・チリの国境線が100kmほど西、つまり太平洋側に引かれて、このあたり一帯がボリビア領だったらどうだっただろうか。おそらくはまだ村で生活する人が大勢いただろう。なぜなら、ボリビアはチリほど急速な資本主義社会の発展がなく、村社会が存続している。おまけにボリビアにはたくさんのアイマラ系の人々が今でも高地の生活を続けているし、それらの人々との交流が絶えずあっただろう。国境線というのは、人為的に決めた架空の線に過ぎないのに、その人為的な線というものには非常につよい力がある。国境線によって分断されることによって物流や人の流れが為政者の思う方向へと決められ、もともと存在した人の流れや物流を止めてしまう。まさにこの地域はそういう場所だ(インドのラダックや隣接するチベットもそれが当てはまるだろう)。19世紀の太平洋戦争でボリビアはチリに負けてこの辺りの領土をチリにとられてしまったわけだが、民族、文化的な観点から言えばこの辺りの領土はボリビア領であったほうが幸せだったのかもしれない。


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午後から北の空に雲が湧き出てきた。グアジャティレ火山の背後から巨鳥ガルーダの長い羽先のようなすじ雲が南の空へと伸び、青空を覆いつくそうとしていた。雲と青空の境目には、数羽のコンドルが非常に高いところで、羽ばたくことなく滑るように中空を旋回していた。青空を守ろうとするかのように。しかし、このような雲がでると、明日以降の天候は下り坂になるのだ。明日の天気が心配である。




走行距離:50km




posted by エウロパ at 05:38| アンデス編 CHILE